[source] https://www.theguardian.com/
DEATH SIDEのISHIYAはこう振り返っています。
「“自分で何かをやりたい”という気持ちだった。パンクバンドなら誰でも始められた。安く楽器を手に入れて練習したけれど、上手くいかなくてヴォーカルになることにした。ハードコア・パンクは、10代の絶望的な怒りを表現するのにうってつけだったんだ。
社会や常識への反抗が基本姿勢だったから、当然、メインストリームの社会が受け入れないような見た目を選んだ。(かつてそびえ立つマゼンタ色のモヒカンをしていたと話す)
日本では同調圧力が非常に強く、見た目が違うというだけで差別的な扱いを受けた。電車では避けられ、仕事を探しても門前払いされた。まるで社会の敵のように扱われたよ。
(当時のシーンは)極めて暴力的で恐ろしいものだった。どのライヴでも誰かが血まみれになるほど殴られ、いつ自分がその立場になるか分からなかった。あの緊張感は日常生活では決して味わえないもので、スリリングだった。
基本的に、学校や会社といった“社会”と呼ばれるものに馴染めない連中は、みんな不良と呼ばれた。そういう連中が集まれば、暴力は自然と発生するものだと思う。
GISMの暴力的なパフォーマンスが、ハードコアのライヴは暴力的であるべきだという感覚を生んだ。それによって、ライヴは普通のルールが通用しない、一種の治外法権的な空間になったんだ」
「最初に感じたのは、みんながとにかく飛ぶように生きているってこと(笑)。みんな狂ってるみたいだったから、じゃあ自分も狂った人間になろうと思ったんだ。ハードコア・バンドが山ほどいて、毎週そこら中でライヴがあった。時間はあっという間に過ぎていった。まるで日本の昔話に出てくる竜宮城みたいだったよ。
BASTARDは決して暴力的なバンドではなかったが、それでもトラブルは多かった。パンクは目立つから、警察やヤクザにすぐ目をつけられる。Cruck、Mad Conflux、Pile Driverと一緒に回ったツアーでは、どの街でも問題が起きたよ。パンクであることはマイノリティであり、そこに価値がある。もし日本の人口の半分以上がパンクになったら、もっとひどい世界になると思うよ!」
DEATH SIDEのISHIYAは、当時のシーンについて、こう続けています。
「(バンド間で)ライバル意識はあったけれど、互いを研ぎ澄まし合うような関係だったと思う。真っ向からぶつかり合いながら、お互いを高め合う、素晴らしい関係だった」
当時の日本のハードコア・パンクのバンドがなぜこれほどまでに独創的だったのかについてISHIYAは、こう話しています。
「音楽的な系譜が海外とは異なる。海外ではロックが一般家庭で流れるが、60~70年代の日本では考えられないことだった。
(彼は日本の音楽が歌謡曲、演歌、フォークといった穏やかな形態に根ざしていることを指摘し、ゆえにパンクは日本で、より鮮烈に燃え上がる運命にあったと説き)
反逆する者は、必然的に独自の方向へ進むことになる」
了)
https://www.theguardian.com/music/2025/dec/25/japan-hardcore-punk-scene-society-lip-cream-nurse
https://youtu.be/uJWo1vqrvpw?si=K2chfPfMPDGC4bMn
映画『ちょっとの雨ならがまん』
(1983/日本/スタンダード/8mm→HD)
監督:安田潤司
出演:GAUZE、G.I.S.M.、THE EXECUTE 、THE COMES、THE TRASH、CLAY、GASTUNK、町田町蔵、石井聰亙、サヨコ(ZELDA)、佐藤幸雄(すきすきスウィッチ)、マサミ、ほか
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1970年代後半の東京ロッカーズ以降、より過激な表現を求めて現れた若者たちによるジャパニーズハードコア・パンク。その中でハードコア四天王と呼ばれたギズム、ガーゼ、カムズ、エクスキュート。パンクバンドINU、FUNAを解散後、人民オリンピックショウとして活動していた町田町蔵(現・町田康)。
『狂い咲きサンダーロード』(1980年)、『爆裂都市BURSTCITY』(1982年)を続けて発表しインディーズ映画界の寵児となった石井聰亙(現・石井岳龍)。名だたるアーティストたちが出演し、音楽シーンのみならず世界に影響を与え続ける80年代の日本のハードコア・パンクシーンの黎明期を記録したのは映像作家の安田潤司、当時21才。
1984年の初公開後、劇場やライブハウスを中心に上映され、延べ50,000人もの観客を動員した。そして1994年を最後に一切の上映をやめビデオ化されることもなく消えた。その後、様々な憶測が飛び交い、上映不可能と言われた伝説のドキュメンタリー・パンク映画『ちょっとの雨ならがまん』が初公開から34年、未公開シーンを追加し現代に蘇る。
https://youtu.be/ZD0elTHWMCE?si=cCbC1kN6zj-Emrtu
2018年9月11日、立川シネマシティでたった1日だけの上映、700席を数時間で完売にしたG.I.S.M.の未公開映像を集めた映画「烈波壊虐音群突入911」のDVD化が決定。伝説的なアーカイブ映像の中から厳選し、1時間の作品にした衝撃映像がついに蘇る。
『G.I.S.M.法政大学 東京バトルDAYS』(1984年/8mm/13分)、横山SAKEVIが原案・主演の『GEOTROPISM』(1984年/8mm/20分)、そして伝説の『エッグプラント ラストライブ』、初公開『リハーサルスタジオ」のほか、G.I.S.M.の伝説のライブを体感する究極の60分だ。
映画公開後のSNSには「凄まじい映像体験だった。轟音の芸術」「あまりにも圧倒的な臨場感に驚愕」「壮絶、恐怖体験」など、映画でG.I.S.M.を擬似体験した感想が溢れた。
監督はG.I.S.M.の全てのオフィシャル映像を撮影・監督した『ちょっとの雨ならがまん』『素晴らしき日々も狼狽える』の安田潤司監督。
小学生からDOLL読者のヤツだった
INUスターリンハナタラシ原爆オ●ニーズ非常階段がケンモジの限界だわ
ミチロウ、ヒカゲ、サケビ、シンなど
でもやっぱりどうしようもないチンピラやヤク中やヒモが多数派だったシーン
>日本では同調圧力が非常に強く、見た目が違うというだけで差別的な扱いを受けた。電車では避けられ、仕事を探しても門前払いされた。まるで社会の敵のように扱われたよ。
(・・?
COMES G.I.S.M EXECUTE GAUZE
AXEBOMBER CLAY SODOM MORGUE G-ZET
インタビューどころか本にも書いてない部分があるだろ
パンクってそういうもんか
英国の新聞ガーディアンは、世界中で評価が高い日本のハードコア・パンクの初期シーンを特集。英国では現在、1980年代から90年代初頭にかけてのアルバムが続々と再発されている
そんなことない。ジャパコアはもはや日本のお家芸、伝統芸能。世界遺産なのだ、グレイト!
GODLAND – Midnight Flow
https://youtu.be/QmBxfCaaLFY?si=vizM1pMOsFuhSJgq
Vocalist, Recordingarranger, Lyricist: Morrie
Producer: GODLAND
Composer, Vocalist, Lyricist: BAKI
子どもの頃、本屋でバンド名を音楽雑誌の表紙で見て衝撃を受けた思い出
https://natalie.mu/music/news/645769
今や紫綬褒章だもんな
その人、知らない。ライヴハウスやショップで名前すら見かけたことない
死ぬまでのドキュメント的な番組がTV放送されたくらいには有名
まさに画竜点睛を欠く。
チフスとは近かったしその後の世代のルーツであるのは間違いないが
このメンツならガーゼに聞かなきゃ駄目だけど断られたんだろうな
俺がジジイ過ぎた
ガーゼ解散しちゃったね
生きてるうちにキッチリ終わらせられて良かったと今は思うよ
HIKOはいろんな事してて未だに面白いわ
PILLさんも死んじゃったけど、信じられない




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