神奈川県なのに地方都市「小田原市」はなぜ衰退したのかを教えてやる

1 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:31:41.023 ID:67SWCwLu0
1999年に21万人だった人口は減り続け、今では18万台にまで低下
神奈川県西部に位置し、神奈川なのに駅魔市街地も空洞化する「衰退地方都市」の小田原はなぜここまで没落したのかを解き明かします

レス1番の画像1
2 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:32:01.097 ID:67SWCwLu0
最大の理由はベッドタウンになれなかったからだ
神奈川県は東京一極集中に伴う首都圏郊外住宅地として発展し、県人口は大阪をしのぎ全国2位に浮上してきた
川崎から横浜、湘南へと大都市化が進行したが、東海道線沿線ならばそれは平塚までにとどまり小田原にまではその恩恵は及ばなかった
理由は平塚が東京駅から1時間で通える最後の駅で、小田原は遠すぎるからである

レス2番の画像1

東海道線の最高速度は120キロで、これでは1時間平塚までが限界だ
常磐線やつくばエクスプレスは130キロなので、茨城県南までもベッドタウン化しているし
関西地区の東海道線も130km出てバンバン通過する「新快速」があり、滋賀県南部までベッドタウンになっているが
小田原はそうした速達性の恩恵はなかった

4 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:32:35.657 ID:67SWCwLu0
また小田原までくれば「必要なときだけ新幹線通勤のリモート生活」も視座に入るが
そんなことができる富裕層は一部であるし、小田原に住むくらいなら1つ先の熱海で温泉付きの家を買うし、もっといえば那須高原とか軽井沢選んじゃうよね
つまり小田原は「都心1時間通勤はできないし、高価な新幹線を使うほど魅力的な移住先でもない」ので衰退した
5 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:32:43.868 ID:67SWCwLu0
次の要因が「集約拠点性の喪失」である
江戸時代においては、北条の城下町である小田原は相模国(いまの神奈川県の大部分)の最大の都市だった
戦後くらいまでは有力な拠点性があったが、たとえば中郡(平塚と小田原の間の地域)あたりからすれば、今では小田原に出るなら平塚に出たほうがいいし
もっといえば都心までは1時間で行けなくても横浜は40分程度なので、横浜まで日帰りして終わりになってしまう
東海道線が高速化した結果、「都心に通えずとも横浜に行ける沿線」が増えたことで小田原が失った優位性がある。小田急沿線も同様に町田とかに抜けちゃってる
6 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:32:45.579 ID:y77gzvk00
鎌倉のなりそこない
25 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:37:32.580 ID:67SWCwLu0
>>6
鎌倉はまだ横浜市に隣接して都心に近く「1時間通勤」がギリ可能(平塚と一緒)なので
観光地であるとともに富裕層がベッドタウンとして住む需要もあった
その両方でうまくブランディングしたので今の繁栄がある
7 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:32:52.304 ID:67SWCwLu0
「ベッドタウンになれなかった小田原」という事実は今指摘した通りだが
その次が「地方都市としての小田原の発展の失敗」の考察です
周知のように地方都市にとっては、車社会化がある。移動手段が公共交通ではなくなり、市街地が空洞化する代わりに郊外にイオンモールができるという話です

小田原はここでもしくじりがあったんだ。それは城下町ゆえのハンデである

8 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:32:59.722 ID:67SWCwLu0
小田原は城下町である
なので市街地も当時の町割りで道幅が狭く、かつ城下町あるあるの「敵に攻め込まれないように」迷路のようなごちゃごちゃした道になっている。幹線道路が直線的ではなく直角カーブになったり、急に突き当りの交差点になったりするんだ
これは車移動にとって大変不便である。道を拡幅しようにも、歴史的な建造物が沿道にあったりして用地買収が難しく、駐車場もない
結果、小田原駅前に集まることは難しくなってしまった
9 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:33:10.240 ID:67SWCwLu0
レス9番の画像1

一方、小田原には別の課題もあった
それは郊外部の拡大の余地がなかったことだ
東京方面から東海道線で小田原に下るとき、小田原市内に入った国府津あたりで右手は丘が迫り、左手は海になる
小田原は、この「山に遮蔽された地形」で天然の要塞として、不落の城を築いたのだ。上は国府津の切通し、下は熱海に至る山、左は箱根峠の山、右は海だ。昔は狭い平地全部が城だったと言われている

それゆえに「郊外地域の拡大」ができなかったし、周辺自治体からのアクセス環境も、特に道路アクセスが悪かった

10 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:33:22.913 ID:67SWCwLu0
レス10番の画像1

一般に多くの地方都市では「郊外化」が進むほど
市街地の周囲の田んぼ地帯が宅地分譲で住宅地に切り替わり、広い道路になり、余った土地をイオンモールなどが林立する大型駐車場付き店舗群に変貌させることができる
はじめは市街地に放射状に延びる道路沿線が開発され、あとでそれをぐるっとかこむ環状道路をつくるようなイメージだ
それは中心街から郊外への転移もあるし、近隣自治体、周辺自治体からのアクセス改善にもなる。遠くて混雑する市街地まで行かずとも、手前のイオンモールでなんでも澄むからだ

11 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:33:33.022 ID:67SWCwLu0
しかし小田原の場合、市内郊外は平地が狭いのでとっくに開発しつくしている。バイパスをう回させて建設する余地がない
市内と市外を結ぶ手段は西湘や小田厚といった高速道路のみで、それらは「課金」が必要なので近隣自治体民は日常的な利用を避け、国道1号線の慢性的な渋滞は改善しない
結果的に郊外化という流れにも小田原は乗れず、地方都市型の集約拠点になれなかったんだ
12 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:33:41.054 ID:67SWCwLu0
で、何が起きたかというと「半端に公共交通の優位性が残ってしまった」問題がある
小田原には東海道線、箱根登山線、大雄山線、小田急線の4つの在来線があり、地方都市としては有数の鉄道会社の乗り入れ状況だ
かつ、これらの多くは都心方面からの中電の小田原行きが発着したり伊豆・箱根の観光地の玄関なので旅行で利用する人も多いため、本数が確保され鉄道の衰退がそこまで起きなかった

車社会への転移が進む一方で、利便性は一定は維持されたので学生だけでなく市民の一部も利用したので
住民の流動が市内の鉄道沿線にも続くいびつな状態になっている
これは「車社会に全部切り替えて割り切る」ようなこともできず、半端になってしまったんだ

13 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:33:49.452 ID:67SWCwLu0
一方小田原では郊外大型店がないわけではない
国府津駅~鴨宮駅間に広がる巡礼街道沿いの工業地帯だ。線路沿いはかつての貨物駅跡地を流用し「コロナワールド」が進出したほか
大型の工場跡地が「ダイナシティ」や「フレスポ」といったショッピングモールになり、工場が撤退するほど、跡地がロードサイド型の小売店や飲食店に切り替わっていった

レス13番の画像1
14 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:33:58.606 ID:67SWCwLu0
小田原が工業地帯が衰退した理由はなぜか
それは、南足柄市のフジフィルムのような地元企業が存在しなかったから。市外の会社の工場中心で、これらはバブル期以降の生産拠点の海外移転などでお役御免になった
工場がなくなればそこで働く人が配置転換されるので人口は激減する。当然の流れである

また輸送ルートとしてみても、小田原には静岡でいう興津みたいな大型の港湾はない。つまり陸送するのみだが、小田厚の終点の先っぽという辺鄙な場所から東名に抜けるほかない
昔は東名と小田厚くらいしか主要な道路がないのでそれでも有力といえたが、圏央道が開通したいまでは各方面にアクセスのよい圏央道インター沿線あたりのほうがロジ拠点を設けるにはいいだろう

15 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:34:12.013 ID:67SWCwLu0
京浜工業地帯以外の工業地帯では工場が撤退しても、跡地を配送センターにすることなどで維持できたが、
小田原にはアマゾンがあるくらいで、それ以外はロジ拠点にもなれなかった。しかし工場が撤退することで奇跡的にまとまった土地を確保できたので、そこにショッピングモールが進出することができたが
接続する道路は対面通行の狭いものしかないので、巡礼街道や周辺では慢性的な渋滞が常態化している
16 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:34:17.948 ID:67SWCwLu0
地方都市のイオンモールは、バイパス道路を用いることで数十キロ圏をカバーするのが一般的である
だが小田原の場合、小田原の東部に続く各自治体は小田原に行くまで「高速道路に課金するか狭い道路で渋滞する」ことを避けるし、都会に行くなら横浜に出たほうがいい
西を見ても、御殿場市からは箱根の険しい山声が必要なので、市内の御殿場アウトレットで十分
三島方面からも箱根峠を抜ける必要があるので、沼津のららぽーとに行く・・・

という風に、周辺広域にわたる商圏を確保できなかったんだ

17 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:35:02.534 ID:67SWCwLu0
結果的にダイナシティやフレスポの店内は空き店舗が目立つ
ダイナシティは2回百貨店が潰れていて、ヨーカ堂もレストラン街を閉じたり、食品スーパー以外はかなり苦戦して迷走している
小田原市は市街地は不便だが郊外としても半端な自治体になっている

レス17番の画像1
18 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:35:14.375 ID:67SWCwLu0
半端な車社会、半端な鉄道社会のため、どっちつかずになっている
そういう状態を考慮して、各方面と交渉して適切な街づくりをすることを歴代市政は怠っていた

たとえば、国府津~鴨宮の間に新駅を誘致し、コロナシネマワールドのかわりにそこに駅直結商業施設や公共施設を移せば
この半端な状態を打破できていたとも考えられるが、もう遅い

19 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:35:58.280 ID:67SWCwLu0
レス19番の画像1

そういうこともあるのでアリーナや市役所など公共機関も市内のはずれにバラバラに配置され、
どこも周辺は密集地で大して広くもない古い道路の沿道なので、市内のどこから行ってもアクセスが悪い、車必須だが大型駐車場もなく、駅からも遠いという悲惨な状態になっている

20 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:36:09.298 ID:67SWCwLu0
さらに観光地としてみても、城下町とはいうがお世辞にも風情のある場所ではない
合間合間に歴史建造物があって大開発がでいきないとはいえ鉄道の時代に半端に駅前を近代化したので伝統的な街並が広がっているわけでもない、天守閣は再建したレプリカだ
なので小田原は観光地として訪れるというよりも、東京から箱根や伊豆に向かう結節点通過点としてのみ機能し、観光需要を取り込むことで活気を維持することもできなかった

レス20番の画像1

例えば他所の地方都市の場合、地元民の商業需要や公共機関を全部郊外に移転させる代わり、風情ある歴史観光地区としてやってくことに全振りした金沢の例があるが、小田原はそういうことはできなかったんだ

21 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:36:16.632 ID:67SWCwLu0
つまり小田原の問題をまとめるとこうだ

1.ベッドタウン化の失敗
→都心1時間通勤は平塚、厚木が限界。「新幹線通勤」の富裕層のリモート暮らしの需要も那須高原や軽井沢に負ける
2.車社会化の失敗
→城下町で狭くて迷路のような市街地を避けられたが、都心からの中電と観光需要から半端に鉄道依存の構造が残った
3.郊外化の失敗
→2と重なる。山に挟まれ平地に乏しい地形のため広い道路を作って沿線に大型公共・商業施設や宅地分譲をし、周辺自治体からも車で行きやすくするという地方拠点型発展ができなかった
4.観光地としての半端さ
→昔から伊豆箱根の通過点として観光都市形成に弱い。城下町エリアは駅中心の時代にただの地方都市の繁華街になり街並みに和風の情緒もなし。金沢のように地元民が抜けても観光客でにぎわいを補うことは困難だった

22 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:36:25.518 ID:67SWCwLu0
実際問題、静岡県方面から小田原に抜けるには鉄道がいまだに優位だ
伊東方面からは貧弱な国道1本しかなく、土日は観光客殺到で慢性的な渋滞
三島方面の場合箱根峠を超える遠回りかつ峠移動が必要

その点鉄道は渋滞がないし、三島からも丹那トンネルで直通。熱海乗り換えも必要だが普通電車でも一部は小田原まで1本で直通可能
そういう周辺状況がある以上、小田原駅周辺に機能を残す必要や、それがむりなら巡礼街道に新駅をつくってまちづくりする必要があった

23 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:36:35.339 ID:67SWCwLu0
レス23番の画像1

ちなみに小田原は明治時代には「足柄県」だった
伊豆半島+いまの神奈川県西(西湘)だけで1つの地域の塊があり、その時代にはちょうど「県中心部」の都市だったんだ
一方横浜は市域の大部分が武蔵国であるし、世が世なら「外国」であった。そして今においては東京と一体的な首都圏・大都市である都心通勤ベッドタウンの県東部と、どちらかというと静岡県とつながりのある小田原方面の県西部には社会の分断構造がある

なので小田原を「神奈川」とひとくくりにする輩は地域を根本的に理解してないし
これが分断されたことが小田原の拠点繁栄を損ねて衰退する遠因だったといえるんだ。東海道線の熱海での系統分離だって地域の流動を考えればおかしい話なんだよ

24 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:36:46.977 ID:4iqsDSQu0
そんなことよりリニアで橋本駅がどう変わるか解説して
27 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:38:33.826 ID:67SWCwLu0
>>24
相模原論は次回の用意している
「座間の中心駅はなぜ”相武台”なのか」から話を広げたいと思う
26 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:38:13.422 ID:4eMFGylq0
実は神奈川昔住んでた
30 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:44:43.680 ID:67SWCwLu0
>>26
厚木?
28 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:40:26.014 ID:ER5tcwoW0
それで畳はどこですか?
31 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2026/01/11(日) 21:45:29.506 ID:tC5LaTdd0
相武台と名付けたのは天皇

コメント一覧

タイトルとURLをコピーしました