この事実を指摘するとたいがい「田舎はどこも空洞化しているから仕方ない」とか「雪国で冬寒いから外に出たくなくなる」とか山形人から反論がやってくるものだ
だが同じ田舎の県庁所在地で、積雪寒冷地で盆地という条件まで同じ「長野」には活気がある
なぜ山形は失敗した都市か、その理由は長野という成功都市と比較すれば見えてくるものだ
山形では1992年に「べにばな国体」という国体(現国スポ)を開催し、その会場として山形県総合運動公園陸上競技場を筆頭に大型公共施設を建設。山形新幹線や山形自動車道の開通で高速交通で東京から1本でつながった
長野も1998年に長野冬季五輪を招致。これにより長野オリンピックスタジアムやビッグハットを建設したほか、北陸新幹線や上信越道の建設で東京とのアクセス手段が向上した点まで似ている
だがその先が違ったのだ
長野はその後、オリンピック開催によって無名の田舎町から国内外に名前が知れ渡る存在になった
私は去年と今年の2度長野に出張したが、平日であるにもかかわらず長野駅は大勢の旅行客でにぎわっていた。日本人はもちろん、インバウンドの外国人が大勢いた
それに対し、山形は旅行者が一切いない。親戚が山形県民で何度も行ってるからわかるけど、本当に山形駅、山形の市街地は人がまばらでいても学生さんとかジジババとか「地元民がちらほら」という感じなんだ
この違いである
長野が観光でにぎわう理由。それは「善光寺の門前町」という地元のアイデンティティを全面に打ち出した整備を絶えず継続したからだ
例えばこの長野駅も実は98年に建設したものはない。10年前に作った次代の新駅舎なのだ
そしてそのしつらえは、木目調に提灯と、だれがどう考えても善光寺を意識したものだ
私は新幹線を降り、長野五輪のポスターの掲げられた連絡通路を抜け、駅ビルの横のエスカレーターを降りてこの外観を見るたびにワクワクするよ
ああ、長野に来たのだ、と
あと長野って「さまよえる路地」がいっぱいあるんだよね
五輪開催で再開発もあったが、駅やアクセス道路や会場などの必要用途に特化してて、
大規模開発一辺倒ではなく空き家や空き店舗への出店を市をあげて支援することで、若い意欲的なオーナーによる個性的で地域色豊かな店が増えたんだよね
だから渋谷や下北沢の裏路地みたいに楽しいの
こういう取り組みが、山形にはない
山形はその真逆で、狭い路地ではなく拡幅した広い道路、バイパス道路ばかり作って
車社会化、ロードサイド化が進行し、中心街は空洞化してしまった
大正解
山形が何で躓いたかというと「1つのランドマーク」を示せなかったから
それはマスタープラン、グランドデザインをする上でのキー・ビジュアルになるものだが、山形にはそれがない
ちなみに山形以外でもそういうものが不在、あるいは弱い地方都市は大概失敗している。まあ県庁所在地で一番なんもねえのは山形で間違いないだろうが
それは全国民(特に東京)からイメージを持たれず観光客を誘致できないだけではない
地元出身者が「ふるさとのアイデンティティ」を持てないということだ。なのでみんな山形市民は高校生を卒業するとあっさりと仙台や東京に出てしまうんだよ
未練もない。それは「都会のような便利さがないとるにたらないド田舎」だという意識の裏返しでしかないのだ
これは出張の合間の休みに実際歩いた話
長野駅を降りたロータリーの目の前に延びる道路も、灯篭が歩道にあって「善光寺参道」の文字があるんです
旧北国街道で、そこをひたすら直進するとそのまま境内に続いていて、本堂に通じるつくりになっているんですよね。風情はあるけど再開発で後から整備した感じがよくわかる
この時点で私は「そうか、長野は完全に善光寺によって成り立つ町なんだな」と認識したが、そこをそのまま歩いてもつまらないので、あえて脇道の路地を歩くことにしたんです
そこで私は地図も持たずにロータリーの脇にある二線路通りという道路を歩くことにした
東急デパートの合間が入り口ということに加え店屋や飲食がひしめきあって、さながら「長野のセンター街」という感じだ
私は「地方都市でこの賑わいはすごいぞ」と思った
名瀬なら山形駅前なら人もまばらなシャッターアーケードである。空き店舗の合間は建物さえとっくにつぶした青空駐車場が歯抜け状態である
そんな中、ちゃんと店がひしめき合っている長野はすごいのである
それは自分のような旅人もいるが、ほとんどが地元の人、特に若い世代が目立つということだ
長野は出店規制により、バイパス沿いに大型店が無秩序氾濫していないのである(あっても局地的に必要な店舗が適宜ある程度)
それによって街の賑わいが保たれているということだ
実際、自分がレンタカーで篠ノ井などの長野市郊外のバイパスを走っても主要道路の重なる交差点付近など、「他県だったらここにイオンモールあるよな」という場所に田んぼや畑が広がっていたりすることが多い
つまり人口減少、少子高齢化で一方的に活気が失われるのを補うように観光客が集約する拠点として成り立っているのだ
これが地方都市活性化のコツだ
「歩ける街づくり」をすること、そしてそこにワカモン(地元の若い世代)とヨソモン(東京や外国からの観光客)を集めるということである
その異なる層が混在することによるグラデュエーションが、その街の面白さや活気を成すのである。観光客しかいない地区は地元の若者はいかないし、地元民しか行かない場所は観光客は来ない
長野市民のような地方都市の人は当然歩く距離ではない(私ほどの地方ウォッチャーは5㎞くらい歩くがそれは異常だから)
しかし、長野駅周辺の繁華街と、善光寺の観光地としての門前町が、隣接することで、賑わいのある地区がこれほどの長い距離も切れ目なく続いているのである
行けば気づくことだ。みんなもぜひ歩いてほしい
この善光寺までの道路がよいのである
見ての通り、無電線化され、アスファルトではなく石畳に並木道になっている。沿道もレトロな建築物が多いほか、新しい建物も和風にしつらえ、高さもそろえるなどし
町並みの秩序が一定に保たれている。高さを整えているからこそ、長野駅前からでも道の先に善光寺の構造物が見渡せるのである
これはヨーロッパの旧市街の整備の仕方によく似ている
日本でここまで完璧な「まちづくり」をした地方都市はまれである
それは2㎞近い沿道の大量の路線バスが走っているからだと俺は気づいた
http://www.nabic.info/rosenzu/gif/KBC01-W1.gif
長野駅から各方面に向かうバス路線が、最も束ねられているのがこの善光寺大門までの区間で、そこから各方面に分岐するのである
つまり、それだけ路線が多いと、首都圏みたいに分刻みで時刻表を気にせずにバスに乗れる。どのバスに乗っても長野駅に帰れるし、善光寺に行けるのである
そしてそれは観光客の多くもバスを利用するから、一定の利用率があって本数を維持できているという面もある
結果、長野市民が現代の地方では珍しく「徒歩とバス」の暮らしを維持できるようになっているのだ
善行寺前でバスを待つときは、目の前のバスを乗り逃しても走る必要はない
なぜなら数分待てば別のバスがすぐ来るから。それまでは目の前の店のスタンドで何かを買って歩道のベンチに座って買い食いしていればいいのである。結果店もにぎわう
するとおのずと活気が持続され、シャッター化と反対の元気な商店街になるんだよ
まず山形市にはイメージがない
Google画像検索で「長野市」と打ち込むと、さっき指摘した「善光寺」と「長野駅」及びその間に続く参道の風景写真がいっぱい出てくる(そして実際それはあっている)が
山形市は抽象的な空撮写真か、地図の位置図か、どこの地方都市にでもありそうな商店街の道路か、それしかないのである
ナガノや埼玉に人が集まるのは
長野市のランドマークで調べると出てくるのはほぼすべて善光寺だ
これも異論はないだろう
ところが「山形市のランドマーク」の結果はぐっちゃぐちゃなのである
文翔館(旧県庁舎)、最上義光騎馬像、霞城セントラルというハコモノ施設、霞城公園、なんかのミュージアム・・・
あらゆる散漫な施設に分散してしまう
「これ」という特定のランドマークを設定し、それを軸に統合的なまちづくりをした地方都市は成功している。長野なら善光寺がそうだった
だけども山形はそういうことを決めきれないため、すべてが小粒で埋没してしまうんだろう
戦前レトロな庁舎跡を用いたミュージアムなんてどこにでもあるし「騎馬像」に至ってはとなりの仙台のパクリにしか思えなくなってくるからな(仙台はほかに観光地がないかわり青葉城に全部振り切ってる)
それは山形市ではなく酒田だろう
1は山形(市)の話をしてる
ありがとう
けどいいたいことはわかる。山形市の病理は、ほぼ山形県総体に言える病理でもあるから
わかりやすくいえば「貧乏性」。おしんの時代から変わらないだろう
そして「合理性至上主義」戊辰戦争や大火があったにせよ、古い建物をためらいなくぶち壊す開発至上主義(その割にただの田舎なのでできるものは全部ショボい)のせいで東北地方の県で唯一、重伝建が県内に1つもない
さらには「事大主義」。かつての服部天皇のような権威が典型だが、強い大きな概念があると全部がそれに倣う。これによって特色ある個性豊かな地域性がない
そのくせ調和に乏しく「我田引水を許さない百姓根性」で足の引っ張りあいがひどい。聖徳太子の和の精神がない。県が、無数の別の藩の集まりなので、どこが中心だとか、そういう決め事がやりづらい。秋田が県としてまとまってるのは全部が佐竹藩だから。山形は米沢市は米沢藩、新庄市は新庄藩と、主要な市・町が1つの藩なのでケンカになるの
このクソみたいな県民性のせいで日本で一番何もない県になったとえいるし
その中心都市が何もないのは必然なのだ
外野が文句いうなって?親の出身地が山形だ。俺にも山形人の血がながれている
一応言及しておくと、秋田も鹿角市と小坂町は南部藩だぞ
あと本庄のあたりはまた別の勢力が強かったはず
それって鹿児島県を薩摩と呼んだ人に対して「何言ってんだ奄美は琉球だった」といってるようなもんでしょ
県土の大半の構成要素は薩摩だし佐竹なんだよ。秋田の期間は奥羽本線沿線であって花輪線沿線はマイナーだ(起点の大館は佐竹)
なんで俺がそんくらいしってるかというと。俺の親の出身地が山形県の奥羽本線沿線自治体だから、俺は学生の頃奥羽本線の載りつぶしをしたことがあるから
その後の没落がひどいし
本間家の屋敷だけ残して周辺は拡幅工事してて昔からの商店街の街並みぶっ壊してる時点でくそオブくそ
逆
山形こそ外国人が多いんだよ、なんでかわかる?
若者がみんな流出する。その労働力が必要になるから
山形のおじさんがいってたよ
山形市内で歩道を歩いている人がいれば、それは「技能実習生」だと
なぜなら地元民は車社会で車移動だが、出稼ぎアジア人は車に乗れないから。そして東京からの旅行客が来ないからだ
円安なのに儲かるんかな
下には下があるんですよ
これに依って外人のオーバーツーリズムに悩んでるのが今の山形
出羽桜好きの日本人なんか稀有だからね行かないよ山形なんて
蔵王とかも中国人の観光客だらけなんだもんな
典型的なエアプだな
ナショジオが取り上げたのは「県」の話
ここで俺が言っているのは山形「市」の話
銀山温泉もクラゲの水族館も山形市内にはないんだよ
山形市内は長野市内と比べて外国人旅行者はまるで見かけない
お前はすべてが的外れ
その理由を俺が今から解き明かすから読んでてね
市といえばわかる
ちなみに古い世代の住民は「旧市内」という言葉で昭和の大合併で編入された地区とそれ以外を区別する人もいる
県外の人に「山形でこんなイベントがあるんだよ」って言うときこの言い方じゃ山形市なのか山形県の某所なのか伝わらないじゃん
毎回県外の人には「山形市で~」って言ってる?
不活性化(つまり死んでいる)地方都市の山形はなにがひどいか
城下町なのに江戸時代の風情が何一つ残っていないこと。そして以前のスレで誰かが書いてたように街のランドマークになれそうだった旧城址の「霞城公園」が何をしたいのか全く分からんことである
山形駅から霞城公園までは約1キロ離れている
この距離は俺なら歩くが、徒歩2分の家の近くのコンビニでも車を出す地方の人は歩く距離ではない
ちょうどお城の堀にはJR奥羽本線が走っているが、そこに駅はないのである
これが山形が死んでる理由である
同じ積雪寒冷地、同じ盆地の、県庁所在地の地方都市でも、山形が長野に一生かなわない理由はこれだ。導線の不在だ
山形駅って元のお城の中なんだよな
あの辺は城の石垣が沢山残ってるんだよなあ
日本有数の巨大な面積の城だった
善光寺の参道だって
あの道幅を考えれば並木を削って、ベンチやテラスの設置された悠長な広い歩道を人が歩くだけの通常サイズに狭めれば
4車線道路にすることは可能だし、それでも狭いなら、沿道の古びた店舗を「どうせ老朽化してるし、保障費用がっぽりもらってもう商売引退すれば」と口説いて取り壊してセットバックさせることでクルマ優先に作り替えることはできたはずだ
けどそうしていたら今のあの長野の街はなかったと思う
裏を返せば「そうした」がため街を失ったのが山形であり日本の全国のほとんどの「死んでいる地方都市」なんだろうと
城下町なのにお城の風情が何もない山形のようにね
帰りは疲れたので電車で長野駅に戻った
2回目は電車で善行寺坂下駅まで、そして帰りはアルピコのバスで表参道を眺めながら長野駅に帰った(というか、ちょっとおりたい気分になったので終点まで乗らずに途中下車して目についた店に寄った)
電車・徒歩・バスという多様な交通手段があり回遊性ができていることに気づいた
旅行というのは「行きで見たのと同じ風景を見て往復すること」はけっこうしんどい。だが、帰り道も別のルートだと新鮮味があって最後まで楽しい
結果満足度も高まるし、カネが落ちる範囲や賑わいの範囲が広がるのである
山形はその逆だから滅んだのである
山形駅の場合、お隣の蔵王駅は5kmも離れている。新宿から恵比寿までノンストップなくらい遠い(実際は山形のほうがさらに数百メートル遠い)
ゆえに隣も「同じ市内」であっても市域自体が田舎でバカでかいので意味がなく、「街の範囲」の中に駅が中心駅以外何もない状態になり、鉄道さえ利用されなくなる、本数が減る、ゆくゆくは廃線だ
長野の場合、善光寺まで途中を2駅もある。やはりそれが大きいのである
山形市周辺のことを話すときは内陸で~というと少し広いよな
でも村山で~って言い方してる人は見たことない(いるのかもだけど
それはない。村山市の話してると思われるだろうからな
神奈川県の人が「神奈川」と言わないのと一緒。湘南や横浜などで地域性がはっきり異なるし、間違いなく「神奈川区」の話をしていると思われる
よくショート動画で「地元の人が知る神奈川グルメ!」とか言ってるのは完全に地域性を知らない商材屋のヤラセ
人口20万を割り込んでいる。過疎地だ。けど鳥取は「鳥取砂丘」という日本人がみんな知ってる強烈なキラーコンテンツがある
砂丘を最大のランドマークとし付近に「砂の美術館」があったり、そこに大勢の観光客が集まる施策ができている
鳥取はこれができたので山形と違って旅行者がいるんだよ。東京からは山形よりも距離が遠く飛行機必須なのに、である
山形市の人は銀山温泉や天童祭り上山リナワールドに人が集まっていても自分の地域が盛り上がってるって感覚はないの?
それは別の機会に触れる
実は俺の母親が米沢出身なんですよ
新幹線延伸時には「金沢バブル」が起きて国内外の旅行者を集めた
それは兼六園をランドマークとして設定し、その周辺の老朽化して手狭になった公共機関の跡地などに博物館・美術館群をたくさん作ったから
金沢駅のおもてなしドームは、そんな街の玄関にふさわしいゲートとして存在感を示している。インスタを見れば世界中の旅行者がここで記念撮影してるのがわかる
山形駅とは大違いだ
そういうのも令和のコメ騒動で完全に終わったけど
ちゃんと人いるんだって思ったくらい
皮肉として最強すぎるからやめろ
けど事実だ
実は長野駅も10年前まではこんな駅舎だった
近代的ではあるが、面白みはまったくなかった
このビミョーさ、山形駅そっくりだろ?
新幹線開業時にせっかく作った新駅を、あえて作り直した・・・というかよりアップデートした最終形態が今の長野駅なんだ
山形だってアップデートすべきだと俺は思うのよ
間接的に好影響を得るパターンもあると思うんだけど
山形市は確かになんにもないけれど観光の拠点にすることはあるかと県外の人は県庁所在地を宿にするなら安牌と思ってくれるし
展示内容もいいのだが、真新しい建屋で、構造物そのものが美術作品性を持っているんだ
たとえば屋上のテラスからはその目の先に善光寺の本堂が借景として続いていたり、窓から外の景色がまるで絵画作品の額縁のように見えるようになってたり、外から見るとガラスに山の景色が反射してそれ自体が美しく見えたり
建屋の真裏が小高い丘になっていてその高低差を利用して1階からも屋上からも出入りができたり
「その場所に所在すること」の価値を最大限に生かしているんだ
ここは田舎のハコモノではなく世界中の芸術好きに知られるべき、世界最高峰の公立美術館だと思う
その場合、クルマがある地元民は行きやすいがそうではない観光客は一生行かなくなってしまう
そして何より、そういう場所は地元民でも芸術に興味がある一部の人(人口が少なくほとんどマイルドヤンキーしかいない地方都市ではそんなのはごく一部)だけが行くようになり
そうでない人は素通りし、一生行かない
だが長野県立美術館は善光寺のすぐそばにあるから、俺みたいな参拝客が流れで鑑賞しに来るし
すぐ隣が城山公園という地元の地域公園でもあるから、都会のような「徒歩の街」の感覚で歩いてふらっと地元民も入れるようになっているんだ
天童あたりに泊まってそこから夜の銀山温泉へバスツアーするって方式もあるらしい
山形市を拠点にすれば山形市はなんもないけど蔵王の樹氷みにいったりできるから山形市に何かがある必要はないと思う
そこでは長野ゆかりの近代画の巨匠・東山魁夷の作品を収蔵展示しているんだ。はなれの別館ではあるが、これがこの美術館のメインといってもいいと思う
そしてその東山画伯の風景画のレプリカは、長野駅構内コンコースの一番上等な場所にも設置してある
長野に訪れる人はこの絵を見るし、長野を去る人も最後に思い出に焼き付ける光景として記憶に残るんだ
善光寺に東山魁夷、そういうシンボルを徹底的に意識する「仕掛けづくり」がまち全体にある
俺自身もまた長野に魅了されながら、長野の長年の取り組みが奏功してきたことに気づいたんだ
日本の中央に近い方が上でしょ




















































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