「磐井の乱」って、九州人が継体天皇即位にブチギレた戦争かもしれないよ

1 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 04:38:43.04 ID:wG0hwfig0

継体天皇が即位後20年で奈良に入って
から僅か9カ月後に磐井の乱が起きている

・即位20年9月 磐余玉穂遷都
・即位21年6月 磐井の乱。筑紫君磐井(北九州全域を勢力圏に収めていた)が新羅と結んで反乱を起こす
[※開戦動機は古事記・日本書紀・筑後国風土記逸文の三書で異なる記載]

https://news.yahoo.co.jp/articles/bdb4fa69410a7fcc95f6b7895261c1ee64ae6bbe

2 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 04:39:22.45 ID:wG0hwfig0
応神(15代)天皇の時代から、突然宮や御陵が河内に置かれる様になるんだ
つまり政治の中心が奈良から河内(大阪)に移ったんだよね

そしてその応神天皇の出生地は筑紫(現:福岡県宇美町)とされているから、河内ヤマト王権は九州と深い関係を持っていた事が伺える

3 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 04:42:44.77 ID:wG0hwfig0
しかし武烈天皇の時代に断絶
それは九州出生の応神天皇を祖とする親九州政権の終焉を意味していた

当然北九州一帯を手中に収める筑紫君磐井は新王権を承認せずヤマト連合から離脱、戦争になったということではなかろうか

4 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 04:59:37.91 ID:ELHHd9Ts0
>>3
正直面白い
5 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 05:42:11.66 ID:wG0hwfig0
継体天皇[26代]の治世、磐井が誅殺された後に九州初の屯倉(糟屋屯倉)が設置される
つまり九州がヤマトから直接支配を受け独立を失った瞬間だよね

そして次代安閑天皇は九州南部も含めて全国各地に屯倉設置

磐井が打倒されて畿内一強構造が確立されたってきとでしょう

27 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 07:31:32.58 ID:y/YyWPg/0
>>5
卑弥呼の時代に既に畿内勢力が九州支配してたという邪馬台国畿内説と矛盾してない?
28 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 07:37:21.67 ID:wG0hwfig0
>>27
畿内勢力が九州を支配していたとは書かれていない
女王国が伊都国を支配し、伊都国に一大率が置かれていたと書かれている

邪馬臺国が伊都国を支配していたなら邪馬臺国が支配していたと書かれてるはずでしょう

邪馬臺国∈女王国なんですよ

6 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 05:51:43.45 ID:U5Dz8CKq0
いや、磐井は事実上新羅政権だっただろあれ
書けないだけで
7 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 05:56:18.86 ID:wG0hwfig0
でも三国史記に磐井の乱が記載されていないのですよね
そして

筑後国風土記逸文曰く官軍が勝手に攻めてきたと
古事記曰く筑紫君磐井が天皇に無礼を働いたから懲罰された云々
新羅と磐井が結びついて謀叛を起こしたと書かれているのは日本書紀のみ

8 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 05:57:46.23 ID:wG0hwfig0
三国史記は高麗の史書です
新羅本紀・百済本紀・高句麗本紀で構成されます
9 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 06:00:57.37 ID:wG0hwfig0
そして日本書紀は、乱当時存在していなかったであろう「国造」という称号を磐井に冠しています
筑紫国造磐井ね
でも古事記や筑後国風土記だとちゃんと筑紫君磐井になる
10 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 06:04:02.36 ID:yKdLDv950
どうでも良いけど、地元の安閑天皇陵だけ
世界遺産からハブられててワロタ
11 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 06:07:02.02 ID:wG0hwfig0
磐井の墓周辺は伽耶新羅の高坏などが結構見つかってるから友好関係であったのは確かだ
12 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 06:19:01.86 ID:oEX6MZps0
へー筑紫国造磐井で覚えたけど当時の称号ではないのね
勉強になる
でもなんで日本書紀は脚色してるんだろう
14 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 06:27:23.25 ID:wG0hwfig0
>>12
日本書紀は日本国と皇室称揚のための勅撰史書ですからね
あと古事記は本当に天武が編纂命じて作ったものなのか怪しいんで
15 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 06:31:24.09 ID:oEX6MZps0
>>14
国造の設置=中央集権体制ということをアピールしたかったってことですかね
古代史難しい…
13 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 06:23:56.83 ID:7Ec9NsnX0
大和が親百済で筑紫が親新羅だったというのはその通りかと思うけど、そんなたすき掛けみたいな同盟関係が長い間つづけられたのか謎だな

もっといろいろ複雑な背景があるのかもしれないけど

16 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 06:33:59.06 ID:wG0hwfig0
『古事記』って天武が編纂命じた“はず”(続日本紀などの傍証無し。古事記序文で自称してるだけ)なのに推古天皇までしか書かれてないし
そもそも天皇の没年齢とか日本書紀と全然違うし出来事も違かったりするし

てか古事記は日本書紀より先に完成した筈なのに、日本書紀には古事記のコの字も登場しない(一書に曰く~と古事記の内容が一致してるわけでもない)
続日本紀にも古事記は一行も登場しない(日本書紀に関しては編纂後に勉強会やった。とか記載がある)

まあつまり、古事記って712年完成を自称してるけど実際の所はもっと昔の620年とかなんじゃない?
そんで長年隠されて多人長に発見されてちょこっと修正されて世に出されたんだろうねと思ってる

17 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 06:41:49.03 ID:wG0hwfig0
古事記に関しては自信あるわ
古事記は国内向けで日本書紀は海外向けとかよく説明されるけど可笑しい

じゃあなんで日本書紀だけ勉強会開いて国内向けの筈の古事記は無視されているの?本当に天皇に奏上されたんなら正史である続日本紀に書かれていない筈がないでしょ
でも書かれてない
古事記が傍証として初登場するのは100年後多人長の弘仁私記序から
そして多人長は古事記の編者である(と古事記序文は自称している)太安万侶の子孫だろ

多人長は原古事記発見した時に自家の称揚に利用しちまおうと考えついて完成を712年にずらし、編者も祖先である太安万侶にすげ替えたってところかな

18 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 06:44:17.65 ID:wG0hwfig0

本当に太安萬侶が文学性豊かな『古事記』の撰録者であれば、約四千五百首ある『万葉集』の歌の中に一首ぐらい彼の歌があって然るべきだが   

無い

不自然極まりない
同じく日本書紀にも続日本紀にも一切登場しない無官の稗田阿礼に暗誦させてるってのもおかしい

19 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 06:52:32.92 ID:wG0hwfig0
古事記が国内向けで日本書紀が海外向けとかそんな単純な理由じゃ説明つかねえ

両者には100年近くの差がある
古事記に推古天皇までしか書かれてないのはそういう理由
最後らへんになってやる気失って書くのやめたとかじゃない。古事記序文が主張する様に、本当に天武天皇の勅命で編纂されたんだとしたらせめて天武天皇の事は沢山書いてくれないと話にならんだろ

多人長が序文改ざんしたせいでメチャクチャになってるんだよ

22 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 07:11:47.98 ID:8Z/C1WKFa
>>19
序文アホなこと色々書いてあるよな
諸説はもみけしたとか
20 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 06:55:06.90 ID:wG0hwfig0
古事記は、崇峻天皇暗殺記事が無かったり蘇我氏に有利な記述が多い
おそらく蘇我氏編纂の旧辞や帝紀が改新政府右大臣である蘇我倉山田石川麻呂によって保存され

のちに古事記になった

21 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 07:01:28.85 ID:wG0hwfig0
タイムライン化しました

【おそらく古事記の辿った歴史】

○[真]西暦620年
蘇我馬子らが「天皇記(当時は天皇号がないので正確には『大王記』)」を編纂する。

○[真]西暦649年
蘇我倉山田石川麻呂[改新政府右大臣]さんが誅殺される。
このとき重要な「好書」を遺す。と日本書紀に記載あり。←これが天皇記の写本?

●[偽]西暦712年
稗田阿礼が暗誦、太安万侶が編纂し「古事記」が完成。と古事記の序文に書かれている。

○[真]西暦800年前後
日本書紀講師の多人長さん、講義に使える参考書を探してる間に「天皇記の写本?」を発見
( ゚д゚)ハッ!
正史と全く違う記述に仰天&豊かな神話に感嘆し、自家の権威付けのため利用してやろうと考え付き先祖の太安万侶を編者とした序文を追加。
藤原の権勢が振るわれる世情を鑑み、ある程度正史と整合性取れるように修正。

○[真]西暦812年
「古事記」の存在が初めて他文献(弘仁私記序:多人長さんが講義)に記される。

《紆余曲折、秘書扱いで近衛家書庫に封じられたり偽書扱いされたりでずっと不遇…》

○[真]西暦1798年
本居宣長が「古事記伝」を完成させる。
彼が古事記を称揚した事により評価が一変し、史上初めて日本書紀と並び評される神典として祭り上げられるようになる!!

23 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 07:16:37.91 ID:EvNTXKmj0
要するに状況次第では数百年後に日本国紀が立派な歴史書になっているってことでいい?
24 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 07:21:29.36 ID:3/zygiY20
継体天皇遷都の情報が伝わって新羅との連合組む交渉をやって軍勢を編成して反乱起こすまで9ヶ月でやってのけるとか物凄い情報の伝わり方が早くて草w電話でもあったのかよ
25 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 07:25:40.65 ID:wG0hwfig0
>>24
開戦動機、日本書紀が正しいとは限らない
古事記では磐井が継体天皇に無礼を働いたから戦争になった
筑後国風土記では官軍が突如攻めてきたと書かれている
26 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 07:26:59.81 ID:wG0hwfig0
おそらく新羅と連合は組んでいない
三国史記にそのような記述が無いからだ
29 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 07:40:04.05 ID:wG0hwfig0
吉備特殊器台の分布から、邪馬台国の時代には既に本州広域同盟が形成されていた事が分かる
おそらくこれが女王国
畿内が邪馬臺(ジャマタイ)国
吉備が支惟(キウィ)国
出雲は投馬(ヅマ)国

女王は「共立」されたのだからこれらを総称して女王国
レス29番のサムネイル画像

30 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 07:44:16.36 ID:wG0hwfig0
地理的に九州と近く、また九州と戦えるほど鉄器が充実しているのは出雲や吉備のみ(当時の畿内は鉄器後進国)
ならば一大率を置いたのも女王国の中の吉備や出雲であっただろう
博多湾沿岸からは瀬戸内海由来の土器が多数出土している
31 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/11/07(月) 07:48:06.61 ID:JEGx5GJM0
普通に王朝代わってるよね

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