- 1 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/07/03(日) 09:21:25.19 ID:plrBU1vp0
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まず分かりやすいように時代背景を整理しよう
《1.半島各地で戦争勃発→2.新天地を求め人々が渡来→3.新天地で縄張り争い(倭国大乱)》
[年号]『史料』〈人名〉
・高句麗-漢戦争[125-169]
ソース:『魏志東夷伝』
「〈順・桓〉之間、復犯遼東、寇新安・居郷、又攻西安平、于道上殺帶方令、略得樂浪太守妻子。靈帝建寧二年、玄菟太守耿臨討之、斬首虜數百級、〈伯固〉降。」
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「訳)順帝・桓帝の間に遼東へ進攻。途中で帯方県(平壌あたり)知事を殺し、略奪行為を働くも169年に漢帝国から本軍が派遣され、高句麗王伯固は降伏する」・半島南部が大荒れ[146年 – 189年]
ソース:『魏志東夷伝』
「〈桓・靈〉之末、韓濊彊盛、郡縣不能制」
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「訳)桓帝・霊帝の末、韓・濊(扶余毛民族)は彊盛となって郡県では制御できなくなった。」・倭国大乱[146年 – 189年]
ソース:『後漢書(卷85 東夷列傳第75)』
「〈桓 靈閒〉 倭國大亂 更相攻伐 歴年無主。」
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「訳)桓帝・霊帝の間、倭国は大いに乱れ互いに攻め合い、何年も主がいなかった。」・欠史八代[???-238年?]
ソース:『古事記』
「戊寅年十二月崩」
実在可能性のある最古の天皇〈御間城入彦五十瓊殖〉の没年を戊寅年から258年と推定。
かつ、後の天皇の登場年と外国史書の年号から比定、逆算し在位年数を約20年と推定。
(※古事記の記述をそのまま信じると168歳まで生きて在位年数70年となるが、まあありえない。) - 3 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/07/03(日) 09:22:05.42 ID:plrBU1vp0
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改めて繰り返す、天皇家の祖先は半島が大荒れになった時に新天地を求めやって来た人物なのだ。
では何故天皇家は、自分たちの祖先が半島から来た。という事実を隠したかったのか?
それは記紀の編纂された時期が、百済回復戦争で倭陣営が惨敗を喫した後だったから。
大陸から完全追放された天皇家は、大陸伝来でなく列島在来の神話が必要になったというわけだな。
それに『中華』と比肩する偉大な『日本』を演出する必要もあったからだ。
(だからどう考えても下賜だろうに、中華の使いが倭に“献上”したとかいう明らかにおかしな記述も多々ある。
外国に見せたりする上で完全隠滅は苦しいから、存在自体は認めながら都合の悪いことを若干誤魔化す手法だ) - 4 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/07/03(日) 09:23:03.56 ID:plrBU1vp0
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本題に入ろう、結論から。
天皇家の祖先、それは半島から来た王子「天日槍(アメノヒボコ)」だ。しかし先述した通り大陸がルーツじゃ都合が悪い、天武朝は天日槍と天皇家の連続性を隠蔽するため例のごとく「存在自体は認めながら都合の悪い所を誤魔化す手法」を用いたのだ。
だが、誤魔化しきるには影響力の有り過ぎた人物だったのだろう。
天日槍に関して残っている記録は整合性が取れず不自然極まりない記述だらけになってしまっている。まず天日槍について基本的な事を知るために、記紀から見ていこう。
- 5 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/07/03(日) 09:24:10.92 ID:eSNDv8dFa
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おもろいなメモしておこう
- 6 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/07/03(日) 09:24:41.00 ID:p1/IfFFT0
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おまえ何で同じスレを毎日建ててんだよ
- 10 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/07/03(日) 09:26:18.95 ID:plrBU1vp0
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>>6
いや、新たな情報が追加された
新羅の歴史書にめっちゃ重要な事が書いてあった。 - 7 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/07/03(日) 09:25:05.31 ID:plrBU1vp0
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【天日槍の人生~記紀編~】
「天日槍(アメノヒボコ)」は半島で、或る国の王子として生まれる。
妻は、人と“太陽”の間に生まれた「阿加流(アカル)比売(ヒメ)」。
献身的な妻だったが、夫のDVに耐えかねて東へ失踪、天日槍も追いかけ垂仁天皇[3世紀後半頃]が治めていた日本列島へ上陸したらしい。結局アカルと会うことは叶わず、天日槍は但馬の豪族から姫を娶る事になった。
[以上古事記より。(日本書紀では何故か、このエピソードが伽耶国王“都怒我阿羅斯等”の物になっている=都怒我阿羅斯等と天日槍は同一人物か)]
そして姫の名はあの神武天皇を導いた八咫烏…ではなく麻多烏。
間に生まれた子どもは神功皇后母方の祖先になる。
[以上日本書紀より。(古事記では何故か、姫の名前が“前津見”になっている)]また、天日槍は四種類の宝具
『鏡(日鏡)』
『武器(出石刀子、出石槍)
『珠(羽太玉、足高玉、鵜鹿鹿赤石玉)』
『熊の神籬』
を持ち込み大切に扱っていたとされている。 - 12 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/07/03(日) 09:27:28.75 ID:plrBU1vp0
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>>7
….『は?』と思った?
『いや確かに天皇家と所々似てる所あるし人物の名前とか整合性取れない所あるけど、天日槍が渡来してきた時は既に垂仁天皇が日本を治めてるじゃん、3世紀じゃん倭国大乱どうしたんだよ。』と
『しかも但馬国で定住して終わったポット出の雑魚じゃん。』とはい、中央で作られた記紀だけ見てたら確かにそう思うのも当然です。
しかしこの国には『風土記』がある、そして風土記には比較的中央の手垢が付いていないんだ。早速見てみようまず播磨国風土記から
- 9 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/07/03(日) 09:25:20.60 ID:0P8Yb+7sd
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売りなら万歳
- 11 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/07/03(日) 09:27:22.38 ID:zIMLV40kM
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つまり朝鮮半島は天皇家所有の土地?
- 13 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/07/03(日) 09:29:17.80 ID:plrBU1vp0
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【天日槍の人生~播磨国風土記編~】
天日槍は“神代”に、韓の国から渡来した。
そして上陸を拒否する葦原志挙乎命=伊和大神(国津神筆頭の大国主と同一視される、大国主は天津神へと国譲りをした)に対してとんでもない方法で臨んだ。あたかも日本書紀で国譲りを要求したタケミカヅチの如く剣を逆さに突き立て、イザナミイザナギの如く海をグルグルと掻き混ぜて島を出現させ、そこに居座ってしまったのだ。
そに後天日槍は大国主と死闘を繰り広げる事になる。…?記紀では11代天皇の時代[3世紀後半頃]に上陸した事になっている筈の天日槍が、しかも但馬で終わった筈の天日槍が神代に渡来して、播磨国で大国主大神と互角に戦っている???
播磨国風土記だけでなく、摂津国風土記にも天日槍は登場する↓
- 14 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/07/03(日) 09:32:46.69 ID:plrBU1vp0
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【天日槍の足跡?~摂津国風土記編~】
新羅から逃げてきたヒメは当初九州の筑紫国に住んでいた。が夫の追手から更に東へ逃げて摂津に来たという。
うん、天日槍の話と酷似している。
この夫が天日槍だとすれば、九州から侵入し神武東征の如く近畿に迫ったという事だろうか - 15 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/07/03(日) 09:38:06.14 ID:8MhXejWC0
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可能性はあるけど断定はできない
- 16 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/07/03(日) 09:40:55.38 ID:plrBU1vp0
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次は九州の風土記を見てみよう
【筑前国風土記】
伊都県主、首長の五十迹手(イトデ)はこう言った
「私は高麗の国の“意呂山”に天から降った日鉾[ヒボコ]の苗裔である」伊都といえば、魏志倭人伝に記されていた、邪馬台国と併存していたとされる国だ。
そこの首長が、自分の祖先を、記紀では若狭湾から入って但馬(兵庫北部)に定住した筈の天日槍だと宣言しているということ。あまりにも整合性が取れないじゃないか?そう、最早ここまでくれば
記紀は、意図的に、九州から近畿にかけての広大な範囲で影響力を持っていた筈の「天日槍」の存在を矮小化していた事は明白だ。 - 17 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/07/03(日) 09:45:46.72 ID:VcL1dxKD0
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日本人の起源は朝鮮
- 18 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/07/03(日) 09:46:16.81 ID:GSkAlgBL0
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どの国でも出自偽って特別感出すのはよくある手法だし
文化改変も行われておらず色も残っていない宗教より
ただの声デカい推進力持った日本人だな - 19 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/07/03(日) 09:48:04.89 ID:OQXYP0eW0
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安倍とか麻生が日本のトップの王になるのが嫌だから天皇の存在は認めてるけどやっぱり変な話ではある
- 20 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/07/03(日) 09:50:34.83 ID:BHa19Wq2M
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在野の研究家?
発表する気ある? - 22 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/07/03(日) 09:53:57.61 ID:plrBU1vp0
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不可解な点はそれだけではない
ちょっと考えてみれば「天日槍」という名前だっておかしい。だって「天(あめ)」という天孫族と同じ姓を使っている人間は天日槍以外に、記紀の中には【誰一人として】いないじゃないか
そのたった1人が、よりにもよって外国から来た王族?しかも但馬で定住して終わり?しかも来たのは3世紀後半?
そんなわけがない
正しいのは風土記の方なのだ、記紀は証拠隠滅に失敗したつまり播磨国風土記が言うとおり、天日槍は神代に来て国譲りを要求し戦争(倭国大乱=欠史八代)を起こした人物なのだ
日本書紀「国譲り神話」で登場した天孫族タケミカヅチの大国主に対する態度と、播磨国風土記で登場した天日槍の大国主に対する態度、脅迫方法が似ている理由もこれで判明した
同一人物だからだイザナミイザナギと同じように海をかき混ぜて島を形成した理由もそうだ
そもそも日本神話が天日槍神話の改変だったのだ
- 23 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/07/03(日) 09:54:21.62 ID:6airUY9q0
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>>1
こんなところでコソコソほざいてるたけじゃあかんやろ。
まさか、ここでほざくだけ? - 25 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/07/03(日) 10:01:16.73 ID:plrBU1vp0
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これで天日槍が半島から上陸してきた時代がほぼ確定した
記紀に書かれているような応神垂仁期[3世紀後半頃]などではなく桓帝・霊帝の間[146年 – 189年]だ
>『後漢書(卷85 東夷列傳第75)』
「〈桓 靈閒〉 倭國大亂 更相攻伐 歴年無主。」それならば朝鮮半島に、当時誰か太陽信仰の者が日本へ渡来していった証拠が残っていたりしないか….
あった。『三国遺事』、「延鳥郎・細鳥女」だ
- 27 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/07/03(日) 10:07:40.41 ID:plrBU1vp0
- 30 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/07/03(日) 10:18:00.05 ID:plrBU1vp0
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>>27
この話、『岩戸隠れ』に似てると思わないか太陽神天照大神がお隠れになると高天原も葦原中国も闇となり、様々な禍が起きた。
困り果てた高天原の神たちは策を講じて天照大神を岩戸から引きずり出すするとたちまち光が高天原と葦原中国に戻った───。
そうなんだよこれで確定だ
157年に延鳥郎という男が岩(船?)に乗ってやって来た。
彼は半島から鉄器を持ち込み、太陽の精を自称した。太陽と鉄器で「天日槍」だ。
そして播磨国風土記に記される通り在地の神(豪族)と大いに争った、それが倭国大乱だ。天皇家の祖先は天日槍で確定した。
- 29 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2022/07/03(日) 10:15:54.42 ID:8LRtlzBC0
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奴国から畿内へ中心が移ったのは、おそらく鉄の流通ルートが変わったからだろう
当時の日本は製鉄技術がないから、鉄を握れば天下をとれた
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