【歴史街道】実は劉備は孔明を信用していなかった?…三国志の伝説的「名君と名軍師」の実像

1 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 16:56:41.18 ID:CAP_USER

(略)

劉備の快進撃には偶然性があったことを指摘しましたが、その前提となったのは、やはり諸葛亮が描いた戦略というべきでしょう。

無闇に戦っていたのでは、未来は開けません。どの順番でどのように戦えばいいのか。それを示したのが「草蘆対」、すなわち世に知られる「天下三分の計」です。

三顧の礼で諸葛亮と会談した際、劉備は「現状をどうみるか」「なぜ曹操が強いのか」「これからどうすればいいか」という3つのことを訊ねました。3つ目の「これからどうすればいいか」という問いの答えとして、諸葛亮は天下三分の計を示しました。

ただし、諸葛亮の「天下三分の計」は『三国志演義』で語られるような奇抜な策ではなく、「劉備には、それ以外に選択肢がない」というべきスタンダードな戦略でした。

一方、先ほど触れた魯粛の「天下三分の計」は、斬新な発想といえます。魯粛は「中国は分裂していて良い」と考えました。つまり、それは文字通り、天下を三分して鼎立すること自体を目的としています。

諸葛亮の「天下三分の計」はそれと異なり、まずは天下を3つに分けておき、やがて漢による統一を進めるという「天下統一戦略」でした。劉備はこの策を受け入れることで、蜀建国へと歩み始めたのです。

この大きな転機をもたらしたものが、荊州で過ごした7年の歳月だったのではないでしょうか。挙兵以来、劉備は戦い続けてきたといっても過言ではないですが、この時期だけはほとんど戦っていません。

それを物語るのが、「馬に乗らないから、腿の肉がついてしまった」と劉備が嘆いた「髀肉之嘆」です。しかし、その間にこれまでの経緯を振り返って、じっくりと考えることができたはずです。そして、自分に足りないものを自覚し、諸葛亮の戦略を採用するに至ったのではないでしょうか。

(略)

219年に関羽、221年に張飛が非業の死を遂げると、激怒した劉備は、その仇である呉を討つべく出征。ところが、夷陵の戦いで大敗してしまいました。白帝城に入った劉備は病床に臥し、諸葛亮を呼び寄せます。

この時期には、挙兵以来の家臣である趙雲も諸葛亮に近い立場にあり、後継者である息子の劉禅は暗愚と、劉備には頼るべきものがありませんでした。だとすれば、強固な勢力をつくった諸葛亮に、劉備は脅威を感じたのではないでしょうか。

劉備は世を去るとき、諸葛亮に「我が子が皇帝としてふさわしくないと思えば、あなたが取って代われ」と告げました。

劉備の置かれた状況を考えると、この言葉は諸葛亮を牽制しようとしたもので、「あなたをあまり信頼していない」という劉備の本音が吐露されたものと私は受け止めています。そうだとすれば、諸葛亮は大きなショックを受けたに違いありません。

(略)

ただ敢えて指摘するならば、劉備と諸葛亮が当時の中国に果たした役割は、それほど大きくありません。歴史は曹操の目指すほうへと進んでいきましたし、劉備と諸葛亮の2人がいなければ、もう少し早くに戦乱が終わっていただろうという気がしないでもないのです。

しかしながら、漢の伝統をつないだという点において、2人は中国史上に大きな足跡を残したと評価できます。

私は「古典中国」という言葉を使うのですが、劉備と諸葛亮は漢再興を求め続けることで、漢を中国における古典的存在とし、「漢民族」というアイデンティティーの確立に、大きな役割を果たしました。それが、中国全体に与えた影響は、いうまでもないでしょう。

鮮卑人の流れをくむ隋・唐ができた後も、中国人は自分たちの国家を「漢」と呼ぶようになりました。2人がいなければ、隋や唐を「鮮卑人の国家だ」と、中国人も私たちも呼んでいたかもしれません。

全文はソースで(長いですw)
https://news.yahoo.co.jp/articles/61b690197258a49c93a5add7a50205993dbfc5bf?page=1

2 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 16:58:53.43 ID:BrVjfaZ1
史実と演義ごっちゃにするなとしか
3 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:00:48.61 ID:0cw0Jmz3
んー
4 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:01:32.78 ID:jHt6mOqK
130万の蜀と1800万の魏 北伐(ゲリラ戦)しないと戦えないでしょ
5 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:07:29.66 ID:IeRyObFH
呉がアホで魏と手を組んで関羽を殺したのが発端で自分の首を絞めることに
6 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:07:42.36 ID:txPKO6HA
天下三分の計そのものに無理があったとしかw
13 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:16:34.17 ID:38Bu41Ct
>>6
成都なんて僻地に都がある国が豊かな荊州保持したままでいられるはずがないわな
14 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:17:24.18 ID:fjw92LEu
>>6
そもそも戦力を三等分に出来ない時点で破綻した戦略でしょ

蜀、呉で魏と拮抗出来る戦力が無いんだから不可能でしかない

28 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:34:15.34 ID:l9N1+Buk
>>6
本文にもあるけどあの状況から劉備が勝つには
荊州と益州をおさえるしかないから間違ってはいないよ
39 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:37:54.28 ID:pAC8vB+B
>>6
負け戦の中にある希望みたいなものだし
7 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:11:19.00 ID:ZE5hcOkE
さすが魯粛
地味だけど周瑜のあとを引き継いだ男
8 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:12:04.36 ID:6Mr8AwS5
何だただの個人の妄想記事か
9 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:12:16.09 ID:boBvTM0n
1対2対20の国力差で三分を語るバカバカしさ
17 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:18:36.24 ID:pJJ77U5Q
>>9
地球の反対側まで恐怖のズンドコに陥れたと言われてる
ナチより遥かに凶悪な大日本帝国という地域大国があってだな
10 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:13:34.71 ID:yVfzHTCx
歴史なんて見る角度でいくらでも変わるわ!!

ドキュメンタリーもライオン側から撮るかガゼルの視点で撮るかで、視聴者の心情は変わるわ!!

25 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:31:50.64 ID:BIPPFk/j
>>10
人間社会から見たら動物社会は異常だなとw
11 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:13:45.48 ID:20nOgvX4
ま~三国時代に皇帝が鼎立したおかげで、皇帝は天下唯一のものという建前が
崩れ去り、日本が日出る国の国書をだしやすくなったとはいえるよねw それでも
隋唐の時代は、天下に皇帝はただひとりという考えが復活して、中華文明の
全盛期が築かれたわけであるねw
36 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:36:05.56 ID:DB2bRwnh
>>11
日本は化外の地(異世界)でしょ
当時の航海術からすれば海を渡って支配を継続するなんてのは事実上不可能だし
物凄い労力を必要とする割には実入りが解らんし
そういう意味で中華世界とは別の世界
43 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:38:56.03 ID:20nOgvX4
>>36
まあ日本を攻める前には朝鮮半島を支配下におかねばならないが、隋の皇帝は
朝鮮半島にたびたび大軍勢を送って、そのせいで疲弊して滅んだといえるねw

その次の唐は新羅と連合して倭と百済の連合軍を白村江の戦いで打ち破った
わけで、やはり古代世界にも外交や政略はあったといえるねw

12 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:14:07.08 ID:MRb1HvAW
中国を3つに分けとけば今頃もう少しマシな国になっただろうに
あの国の人間はなんで自分の容量以上の権力を欲しがるのかが全く理解できん
16 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:18:01.85 ID:Q1apiS7g
>>12
常に権力を握っとかないと食われるからだろ
ある意味、アソコは地獄だわ
15 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:17:59.58 ID:W7c1FIDn
待てあわてるなこれは孔明の罠だ
18 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:20:00.66 ID:bvgujD68
史実と演技の区別もつかない無能の戯言
19 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:20:26.37 ID:wbGSuoR7
100分de名著でこの話聞いたような
20 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:23:00.91 ID:l2itljuR
曹操への対抗手段として漢中王を自称してるし劉姓だしで
漢の再興を掲げないとカウンターパートになり得なかったんだろう
21 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:23:44.14 ID:boBvTM0n
魏にすりゃ辺境にこもった残敵掃討よりも先にやることがあるだろ、という優先順位の低い作業にしか過ぎん
22 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:24:45.23 ID:20nOgvX4
天下三分の刑の最大のピークは赤壁の戦いで、呉と蜀が魏を打ち破ったときだろうねw
23 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:25:35.79 ID:+egkoQNY
この記事書いてる渡邉さんの三国志本は面白い、演義に飽きた人向け

蜀漢に関しては法正があと数年生きてればなぁという印象
あとビホウさんはけっこう優秀だし劉備には真面目に仕えていたのに関羽神のせいで後世不当な扱い受けててかわいそう

46 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:39:46.74 ID:uBvFTVSX
>>23
早稲田の渡邉義浩教授だね
曹操を高く評価しているところがいい
51 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:41:50.24 ID:bqXW5KIG
>>46

現時点における日本での三国志の権威やね。

ただ中公新書の『漢帝国』だったか、祭祀や思想に関する解説は独自解釈が多くて「?」となったな。
興味深かったけど。

24 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:28:26.69 ID:RjDPMmx3
漢王朝が続いてたら日本列島は中国の周辺異民族扱いで中国の歴史に編入されてた。中国を崩壊させた司馬氏は日本の救世主w
26 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:33:15.95 ID:ihZzCwdK
待て、書き込むな、このスレは孔明の罠だ
27 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:34:10.37 ID:IiTedfjO
孔明は優秀なキャスターのサポーター
30 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:34:28.67 ID:20nOgvX4
邪馬台国の卑弥呼は魏に使いを送ったわけで、やはり三国のうち、もっとも有力なところに
コナをかけてたわけであるねw
31 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:34:28.81 ID:bqXW5KIG
>>1

三国な天子のテーゼ

32 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:34:29.11 ID:K5XHpQ9G
ど~でも い~い ですよ~♪
33 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:35:07.17 ID:iyjCP/qL
関羽・張飛の敵討ちを諸葛亮は止めた。しかし劉備は聞かなった。
遠征が大敗した事で、劉備は諸葛亮の正しさを再認識する事が出来た。

劉備は息子の劉禅よりも諸葛亮を信頼していたのではないか?

42 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:38:26.84 ID:+egkoQNY
>>33
正史では諸葛亮が劉備の呉討伐を止めたって記述はない
ただ大敗北したの聞いて、法正が生きてれば…って嘆いたとかなんとか
44 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:39:01.55 ID:bqXW5KIG
>>33

強く反対したのは趙雲あたりで、あとは益州組の高官。
諸葛亮と荊州閥は積極的には反対しなかったともされる。

天下三分には荊州は不可欠であり、百戦錬磨の劉備が大軍率いて突っ込めば、勝てるんじゃねえのかと期待していたものと思われ。

34 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:35:07.17 ID:20nOgvX4
邪馬台国についての詳細な記録がでるのも、魏志倭人伝からだしねえw
41 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:38:08.89 ID:Rz5OCKAM
>>34
曹丕が皇帝の頃だっけ?
45 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:39:11.11 ID:H/N+Rtgy
>>41
孫の曹叡だね(´・ω・`)
49 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:41:12.30 ID:Rz5OCKAM
>>45
まだ全盛期の頃か
このあとだんだん司馬一族が台頭するんだよな
54 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:44:39.71 ID:H/N+Rtgy
>>49
曹叡の即位仕立のころだから
まぁ全盛期だねぇ(´・ω・`)
37 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:36:37.65 ID:xjhzdV7h
どうでも良いけど諸葛亮の子孫の村があるらしいな
38 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:37:12.55 ID:fvmwm13l
正史と演義をごちゃまぜにしてる日本人の多さよ
47 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:40:46.86 ID:+pKwDUWV
中國の歴史は うらぎり 告げ口 うそ
なんでもありで皇帝になってきた
新しい皇帝は 前の皇帝の墓まであばく
中國人は だから 周恩来のように
骨を粉にして ふるさとにまく
それに悪女の規模がすごい
48 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:41:05.07 ID:zw49YzAm
孔明の凄みは政治家なのに強大な魏に対して北伐を行ったこと
それなのに内政が乱れなかったこと
50 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:41:13.64 ID:xeu1J6zR
安倍とスガーリンみたいな関係だなwwネトウヨwww
52 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:43:04.60 ID:Rz5OCKAM
日本人の蜀贔屓は異常
たいして強くないのに
53 名前:一般よりも上級の名無しさん 投稿日時:2020/12/25(金) 17:43:59.03 ID:bqXW5KIG
>>52

逆ですよ。
『演義』史観から本場よりも先に抜け出したのが日本です。

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